「「関係の空気」「場の空気」」(冷泉彰彦)

日本語の特殊性が生みだす「空気」というもの

「「関係の空気」「場の空気」」
(冷泉彰彦)講談社現代新書

「空気」という、
日本人には抗いがたいやっかいな存在。
その「空気」を冷静に分析したのが
山本七平の「「空気」の研究」でした。
山本の著書ではこの「空気」の、
集団に働く作用について、
過去から現在(執筆当時)に至るまでの
事例を豊富に集め、解説しています。
冷泉彰彦の著した本書は、
そうした意味では山本研究の
延長線上にあるものといえます。
そして、さらに2つの視点から
「空気」について分析しています。

一つめの視点は、一対一での
「空気」の有効性についてです。
会話に直接登場しない
価値観や過去の経緯等が、
二人の人間の共有する
「空気」として作用し、
それが表面的な会話に加わることで、
総合的なコミュニケーションを
進めることができるというのが
その理由として述べられています。
「うーむ、というわけか」
「そういうことだ」
例としてあげられた単純な会話文ですが、
その暗号めいた会話を
可能にしているのが
「空気」であるということです。

そのため筆者は山本のいう
「空気」=集団における「空気」を
「場の空気」、
一対一での「空気」を
「関係の空気」と定義して、
それぞれ別個に取り上げています。

もう一つの視点は、
「空気」を決定づける要因としての
日本語の特質です。
日本語の特徴である
「省略表現」「指示代名詞」
「略語」「ニックネーム」等の「暗号」が
空気をつくり出すと解説しています。
「暗号」を使った会話には、
暗号化と復元をするために必要な
暗黙の共通理解があり、
暗号化をすることが
「共通理解を持っている」ことの
確認となり、
その「共通理解」が「空気」として
日本語のコミュニケーションの
重要な要素となるというのです。

山本が「まことに大きな
絶対権をもった妖怪」と評した「空気」を、
冷泉は一元的に否定はしていません。
一対一での「関係の空気」は、
コミュニケーションを
きわめてニュアンスに
富んだものにできるとして
「日本語の長所」と捉える一方、
集団における「場の空気」は、
権力を暴走させ、合理的な判断や
利害調整を妨害しはじめる
「日本語の短所」となると
解析しているのです。
それを他の言語には見られない、
日本語の特殊性からくるものであると
結論づけているのが
本書の特徴となります。

ただし山本と違い、
冷泉はあくまでも日本語論として
本書を展開しています。
今まで気付かなかった、
日本語の特異性が見えてくる一冊です。
やや難しいのですが、
読書に慣れ、読解力の身に付いた
中学校3年生にお薦めします。

(2019.9.16)

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